例会日時 月曜日 12:30〜13:30
 例会場 湘南信用金庫北久里浜支店 2階
 事務所 〒239−0807  横須賀市根岸町3−3−18
  湘南信用金庫北久里浜支店内
  TEL&FAX 046−837−1211

E-mail:

yokosuka-sw-rc@dnsip.ne.jp

URL:

http://www.dnsip.ne.jp/~yokosuka-sw-rc
 会長 坂本    喬彦
 副会長 折笠    仁志
 幹事 安田       治
 会報委員長 大橋    昭夫

RIテーマ “Make Dreams Real”
「夢をかたちに」
国際ロータリー会長 李 東建
(韓国)

第2780地区ガバナー
山地 裕昭
(足柄RC)

第1461回例会週報

2008年9月22日(月)

合唱 『手に手つないで』
ゲスト

郷土史家
山本 詔一様
 
 
ビジター

横須賀ロータリークラブ
新倉 定治様
会長報告 ガバナー事務所より、「第3回インターアクト合同会議開催通知」受領。
   10月18日()藤沢産業センター
   14:00〜16:00会議  16:00〜17:00顧問教諭・提唱クラブ・委員会による懇談会
   登録〆切 9月26日(金)
*ガバナー事務所より、「R財団地区補助金申請書の〆切応募について」受領。
幹事報告 *三浦RC及び横須賀西RCより、 週報受領。
*横須賀日米協会より、「日米フレンドシップコンサート開催通知」受領。
   10月12日() ヨコスカ・ベイサイド・ポケット

出席報告

会員 出席 免除会員
出席
本日の出席率 前週メーキャップ前  前週メーキャップ後
23名 15名 2名 75.00% 70.00%

70.00%

メーキャップされた会員
   米山奨学セミナー→坂本、西塚会員
ニコニコボックス報告
新倉  定治様 久し振りにおじゃま致します。
(横須賀RC)
坂本  喬彦君 どうも天気が「パッ」としませんね。山本さん、久し振りです。本日もよろしく御願いします。
折笠  仁志君 山本様、卓話よろしく御願い申し上げます。新倉様、いらっしゃいませ。
安田     治君 山本様、今日は宜しくお願いします。新倉様、ようこそ。
井上  祐一君 山本詔一氏を卓話者にお迎えして。
真木  英一君 新倉様ようこそ。
三橋  仁男君 御無沙汰しました。又よろしく。新倉さんようこそ。
大橋  昭夫君 山本 詔一様、卓話よろしくお願い致します。
菱沼  正喜君 山本様、今日は卓話楽しみにしております。新倉さん、御苦労様です。
10 宮本  清志君 山本様、今日の卓話楽しみにしています。
11 森     勇人君 山本様、卓話宜しくお願い致します。新倉様、ようこそ。
12 西塚 五郎君 山本さん、卓話たのしみにしています。
13 野  正美君 山本先生をお迎えして、卓話よろしくお願いします。新倉様、ようこそ。
14 斉藤     透君 山本様、卓話よろしくお願い致します。新倉様、ようこそ。

前日計

186,000円 本日計 17,000円 累計 203,000円
新世代育成委員会
安田幹事

9月2日(火) 地区R財団セミナー報告
9月6日(土) 帰国学生オリエンテーション報告
インターアクト委員会
宮本委員長
9月12日( 津久井浜高校文化祭出席
9月29日()  カナダへの派遣学生「望月 瞳」さん帰国報告
職業奉仕委員会
菱沼委員長
10月20日( 職場見学「関東化成工業株式会社」
卓話東京湾を守った人たち」 郷土史家 山本 詔一様
山本 詔一様 卓話開始
海防、台場
198年前の文化七年(1810)、江戸湾(今の東京湾)の近海に外国船が出没し始めた幕末。
幕府は江戸防備のため会津藩に海防(海岸警備 )と台場(のちの砲台)つくりを命じた。
松平容衆(かたひろ)

会津藩主は七代目の松平容衆(かたひろ)。まだ 3歳だったが、会津藩は陣屋を浦賀、観音崎、三崎の北条山に設け、
台場を観音崎、浦賀の平根山、城ケ島などに築いた。
家老の西郷頭母(たのも)や田中志摩のもと、原田文助を番頭に武士約六百人を配置した、という。
会津からの道のりはハ十余里(約三百二十`b)。藩士は家族連れで来た。
学問に熱心な会津藩のこと、観音崎に養生館、三崎に集議館という藩校を設け、子弟の教育に力を入れた。
当時、三浦半島では大変な思いをして会津藩の人々を受け入れ、会津藩は年収が半分になりながら赴任した。
京都所司代の任に就いた時、三浦半島全域から2000両工面した。
当時の1文は25円、1両は6000文=15万円、15万円×2000両=3億円
三浦半島の海岸警備
三浦半島の海岸警備を会津藩が受け持ったのは、文化七年(1810)から文政三年(1820)までの十年間だった。
その後は、川越藩が天保十三年(1842)から弘化四年(1847)まで務めた。
大津村に川越陣屋が出来たおかげで、半農半漁の村は飲食店や旅館が栄えた。
次いで、彦根藩が千代ケ崎や荒崎など九ヵ所に台場(後の砲台)を築いた。
嘉永六年(1853)になると長州藩が受け持った。
その時、桂小五郎(のちの木戸孝允−こういん、当時21歳)、伊藤俊輔(のちの博文、当時16歳)らが加わっていた。
さらに安政五年(1858) に熊本藩、続いて佐倉藩が警備を引き継ぎ、明治を迎えた。

新しい風

江戸湾を守る人たちが来たお陰で、三浦半島に新しい風が吹き込まれ町ができ、急速に活性化した。
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