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第1461回例会週報 |
2008年9月22日(月) |
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■合唱 | 『手に手つないで』 | ||
■ゲスト |
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郷土史家 山本 詔一様 |
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■ビジター |
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横須賀ロータリークラブ 新倉 定治様 |
■会長報告 | *ガバナー事務所より、「第3回インターアクト合同会議開催通知」受領。 |
10月18日(土)藤沢産業センター | |
14:00〜16:00会議 16:00〜17:00顧問教諭・提唱クラブ・委員会による懇談会 | |
登録〆切 9月26日(金) | |
*ガバナー事務所より、「R財団地区補助金申請書の〆切応募について」受領。 | |
■幹事報告 | *三浦RC及び横須賀西RCより、 週報受領。 |
*横須賀日米協会より、「日米フレンドシップコンサート開催通知」受領。 | |
10月12日(日) ヨコスカ・ベイサイド・ポケット |
■出席報告 |
会員 | 出席 |
免除会員 出席 |
本日の出席率 | 前週メーキャップ前 | 前週メーキャップ後 |
23名 | 15名 | 2名 | 75.00% | 70.00% |
70.00% |
■メーキャップされた会員 |
米山奨学セミナー→坂本、西塚会員 |
■ニコニコボックス報告 | ||
1 | 新倉 定治様 | 久し振りにおじゃま致します。 |
(横須賀RC) | ||
2 | 坂本 喬彦君 | どうも天気が「パッ」としませんね。山本さん、久し振りです。本日もよろしく御願いします。 |
3 | 折笠 仁志君 | 山本様、卓話よろしく御願い申し上げます。新倉様、いらっしゃいませ。 |
4 | 安田 治君 | 山本様、今日は宜しくお願いします。新倉様、ようこそ。 |
5 | 井上 祐一君 | 山本詔一氏を卓話者にお迎えして。 |
6 | 真木 英一君 | 新倉様ようこそ。 |
7 | 三橋 仁男君 | 御無沙汰しました。又よろしく。新倉さんようこそ。 |
8 | 大橋 昭夫君 | 山本 詔一様、卓話よろしくお願い致します。 |
9 | 菱沼 正喜君 | 山本様、今日は卓話楽しみにしております。新倉さん、御苦労様です。 |
10 | 宮本 清志君 | 山本様、今日の卓話楽しみにしています。 |
11 | 森 勇人君 | 山本様、卓話宜しくお願い致します。新倉様、ようこそ。 |
12 | 西塚 五郎君 | 山本さん、卓話たのしみにしています。 |
13 | 野 正美君 | 山本先生をお迎えして、卓話よろしくお願いします。新倉様、ようこそ。 |
14 | 斉藤 透君 | 山本様、卓話よろしくお願い致します。新倉様、ようこそ。 |
前日計 |
186,000円 | 本日計 | 17,000円 | 累計 | 203,000円 |
■新世代育成委員会 | |
安田幹事 | |
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9月2日(火) 地区R財団セミナー報告 |
● | 9月6日(土) 帰国学生オリエンテーション報告 |
■インターアクト委員会 | |
宮本委員長 | |
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● | 9月12日(金) 津久井浜高校文化祭出席 |
● | 9月29日(月) カナダへの派遣学生「望月 瞳」さん帰国報告 |
■職業奉仕委員会 | |
菱沼委員長 | |
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10月20日(月) 職場見学「関東化成工業株式会社」 |
●海防、台場 | ||
◆ | 198年前の文化七年(1810)、江戸湾(今の東京湾)の近海に外国船が出没し始めた幕末。 | |
幕府は江戸防備のため会津藩に海防(海岸警備 )と台場(のちの砲台)つくりを命じた。 | ||
●松平容衆(かたひろ) | ||
◆ |
会津藩主は七代目の松平容衆(かたひろ)。まだ 3歳だったが、会津藩は陣屋を浦賀、観音崎、三崎の北条山に設け、 | |
台場を観音崎、浦賀の平根山、城ケ島などに築いた。 | ||
家老の西郷頭母(たのも)や田中志摩のもと、原田文助を番頭に武士約六百人を配置した、という。 | ||
会津からの道のりはハ十余里(約三百二十`b)。藩士は家族連れで来た。 | ||
学問に熱心な会津藩のこと、観音崎に養生館、三崎に集議館という藩校を設け、子弟の教育に力を入れた。 | ||
当時、三浦半島では大変な思いをして会津藩の人々を受け入れ、会津藩は年収が半分になりながら赴任した。 | ||
京都所司代の任に就いた時、三浦半島全域から2000両工面した。 | ||
当時の1文は25円、1両は6000文=15万円、15万円×2000両=3億円 | ||
●三浦半島の海岸警備 | ||
◆ | 三浦半島の海岸警備を会津藩が受け持ったのは、文化七年(1810)から文政三年(1820)までの十年間だった。 | |
その後は、川越藩が天保十三年(1842)から弘化四年(1847)まで務めた。 | ||
大津村に川越陣屋が出来たおかげで、半農半漁の村は飲食店や旅館が栄えた。 | ||
次いで、彦根藩が千代ケ崎や荒崎など九ヵ所に台場(後の砲台)を築いた。 | ||
◆ | 嘉永六年(1853)になると長州藩が受け持った。 | |
その時、桂小五郎(のちの木戸孝允−こういん、当時21歳)、伊藤俊輔(のちの博文、当時16歳)らが加わっていた。 | ||
◆ | さらに安政五年(1858) に熊本藩、続いて佐倉藩が警備を引き継ぎ、明治を迎えた。 | |
●新しい風 |
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◆ | 江戸湾を守る人たちが来たお陰で、三浦半島に新しい風が吹き込まれ町ができ、急速に活性化した。 | |
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