横須賀市の産業と人口減少について |
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横須賀市の産業と人口減少の関連について分析してみることは、今後の施策を考えるうえで意義があると考えます。今回御手元に参考資料を用意しましたので、これを参考願い、話を聞いていただければと考えます。 |
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横須賀市の人口は平成5年(1993年)の43万5千人をピークに減少している。しかし世帯数は現在伸びています。 |
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一家庭の子供の減少は、日本全国に見られる傾向で、横須賀市の場合も同じです。 |
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歴史的に横須賀市にて事業をしていた主要産業の5社についての過去の事業のピークをまとめてみました。 |
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捕鯨関連の船の建造修理は戦後の復興期など大変な活況を呈しました。 |
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しかし昭和35年の国別割当制が導入されてから陰りが見え始め、昭和60年には商業捕鯨が停止され調査捕鯨に移行されると、歴史の幕を下ろしました。 |
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それに少し遅れて、日本の造船業は世界のシェアーの50%を占めるにいたりましたが、昭和60年のプラザ合意からの円高の流れで競争力が落ち、建造量が落ち平成15年には浦賀ドックの閉鎖に至りました。最近は、復活の傾向も出てきているようです。 |
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東京電力久里浜発電所は日本の高度成長をささえ、平成15年までは8基すべてが稼働していましたが、長期計画停止になりましたが、そろそろ新しい発電の計画、稼働が待たれるところです。 |
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重厚産業のもう一つの自動車産業では、関東自動車が日本のモタリゼーションの流れで昭和45年頃には東富士工場の増設にまで進みましたが、平成5年頃には岩手工場の建設で東北へのシフトが始まり、平成23年には東北を拠点にするという方向が明確になりました。 |
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もう一社の日産自動車も一時期はフル操業を昼夜問わず行っていましたが、今はそのような状況ではありません。 |
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戦後から平成のはじめまでは、復興時、為替の変化、などで産業ごとの盛衰があっても、軸となる大型産業が横須賀市にはありました。 |
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その結果、多くの就労があり、その家族が居住していました。またその産業を取ります関連、協力工場、企業もあり、それに伴う飲食業、学校などができることより平成5年には43万5千人になりましたが、10年後の平成15年には43万となり、その後減少に転じました。 |
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この間、それまでの主要産業の大型工場にとって代わる工場、産業が現れていないのが現実です。 |
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平成23年の商業統計をみても1,000名以上の従業員を有する事業者は“1”のみになっています。 |
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今後の横須賀市の人口を考えると、どうしても軸となる産業の拠点になることが必要かと考えます。このような誘致が、最も必要とされる施策であるように思われます。 |
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