第1179回例会
2002年3月18日(月)
◎合唱 「それでこそロータリー」
◎ゲスト紹介 山本 詔一様
◎会長報告 *ガバナー事務所より、「ライラ受講生申込ならびに新世代奉仕委員長登録依頼」受領。
*ガバナー事務所より、「職業奉仕アンケート」受領。締め切り4月10日(水)
*ガバナー事務所より、「ロータリー情報セミナーのプログラム」受領。
◎幹事報告

◎出席報告

会員 出席 欠席 本日の出席率 前週メーキャップ前  前週メーキャップ後
  41名 28名 13名 68.29% 63.41% 65.86%

◎メーキャップされた会員

岡田 忠男会員

GSE委員会
◎ニコニコBOX
掛田   侑男君 山本様、本日の卓話よろしくお願い致します。  
西塚   五郎君 いつもお世話様です。
藤原   康平君 山本 詔一様をお迎えして、本日の卓話よろしく。
井上   祐一君 山本 詔一氏を卓話者にお迎えして。

本日計 4,000円 累計 461,000円
◎委員会報告
1.  創立25周年記念実行委員会開催予告
とき 平成14年3月26日(火) 午後7時30分
ところ カフェド・クルー
2.  創立25周年記念ゴルフ大会
とき 平成14年4月25日(木) 
ところ 葉山国際カンツリー倶楽部 エメラルドコース OUT 9時01分スタート
5組予約、キャディー及び乗用カート付
午前8時30分までにクラブフロント前に集合。小雨決行
競技 18ホール新ぺリア方式
参加者 横須賀南西ロータリークラブ会員
神奈川・横須賀プロバスクラブ会員
賞品 優勝、準優勝、3位、4位、5位、7位、BB、参加賞
ベスグロ、ニアピン、ドラコン
会費 特に頂きません。但し、ゴルフ場でのプレー費及び飲食費は自己負担。
その他 競技終了後、場所を変えて成績発表及び賞品授与の小パーティーを実施します。
(場所未定、参加者には追って連絡します。)
参加希望者は、3月31日(日)までに事務局へ、プロバス会員は親睦委員長まで申し込んで
下さい。
◎卓話  
【浦賀八景】 郷土史家 山本 詔一様
幕末から明治初年の作と思われるが、誰が詠んだものかわからない。
夜雨から暮雪までは、近江や金沢の八景も同じものであり、そこに浦賀の地名や情景をあてはめたもの。
八景は春夏秋冬の夕暮れから夜、翌日の朝までの風景である。

1.

柳涯夜雨(りゅうがいのやう)
柳涯とは、柳のある岸のことをいい、ここでは浦賀警察署のわきを流れている蟹田川の川岸をさしている。
蟹田川の河口は新地町といい、明治二十年代まで遊郭があったところである。
雨に煙る歓楽街を港に停泊した船からながめた景色は、また別の風情を誘うものであったろう。
2.  東林晩鐘(とうりんのばんしょう)
東浦賀の浄土宗のお寺、浦賀山東林寺がつく夕暮れ時の鐘の音のことである。
この後に続く七言絶句には「鐘が鳴ると鳥はねぐらに帰り、日は山陰に入り、再び聞こえてくる鐘の音に
二階の手摺から眺めると月が古い鐘つき堂の上にのぼる」とある。
この情景は西浦賀から港ごしに見えたものを詠んだものである。東林寺の場所からすると、ここでつかれる
「鐘」の音は浦賀じゅうに鳴り響きわたったことが想像できる。
3. 灯台帰帆(とうだいのきはん) 新三浦半島八景のひとつ
燈明堂をめがけて帰ってくる船の情景を詠んだものである。
この七言絶句は「青い海を隔てて、房総半島の山々と相対している燈明堂に風をいっぱい受けた船の帆、
まるで雪片のようにひらひらと船番所に吹き込まれていくようである」としている。
江戸時代の初期から浦賀の港口に立ち、航路標識として、重要な役割をしてきた燈明堂をめがけて、帰り
を急ぐ船。港口の夕方に見られる情景が、思い浮かべられる。
4. 館浦晴嵐(やかたうらのせいらん)
館浦は燈明堂に隣接する地域で、現在はヨットハーバーになっている。
ペリー来航の折、最初に国書受け渡しの場所に選ばれていたが、お固め四家の反対で実現できなかった。
5. 扇海秋月(せんかいのしゅうげつ)
浦賀の港が扇を開き始めた形に似ているため、扇海湾とも呼ばれていたことから詠まれたものである。
この後に続く七言絶句は「潮は東西両岸に打ち寄せ、月の光がわき水のように流れを作っている。
その中で房総半島がかすかに見えている」と秋の冴えわたった月が、この港に映る様を詠んだもので、
明かりの少なかった時代、水面にきらめきゆれる月明かりの風景は、一枚の絵になる情景であったろう。
6. 芝生落雁(しぼうのらくがん)
芝生は、京急浦賀駅前から馬堀海岸へ向かう八ノ津坂の手前の地域である。
ここは明治以降、横須賀の発展にともなって、人力車や乗合馬車などの交通機関の基点となり、浦賀の
玄関口となったところである。
7. 尾村夕照(おおむらのゆうしょう)
東浦賀と鴨居を結ぶ海岸線、現在のかもめ団地にある「大室(おおむろ)」を指していると思われるが、
浦賀の人は「おおむろ」とは言わず「おおむら」と呼んでいるので「尾村」になったと思われる。
かもめ団地の埋め立てにより、大きく地形を変えたところ。
紅葉が水面に映り、そこに夕日がきらめく美しさを詠んだ当時の姿は、もうみることができない。
8. 平根暮雪(ひらねのぼせつ)
「重く垂れこめたなまり色の雪雲に房総の山々をはっきりと見ることは出来ないが、だからこそ逆に、美しい
平根山の夕日の景色を見た時の感激が強くなる」と燈明堂のある岬の背後にそびえる平根山の雪景色の
夕暮れ時を詠んだものである。
雪の降ることが少ない浦賀だが、安藤広重が日本湊尽(みなとづくし)で浦賀港を描いたものも雪景色で
あった。
平根山は文化八年(1811年)に会津藩の手で江戸湾防衛のための台場が置かれ、ペリー来航の時は、
ここから「のろし」が上がり、緊急事態を知らせた。
明治維新後も東京湾防衛の最前線の役割を担い、浦賀の人々からは砲台と呼ばれた場所である。

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