「通信」という言葉が使われていますが、現在使われている「通信(communication)」のための |
使節ではありません。 |
文字通り「信(よしみ)」を通じるための使節です。わかりやすく言えば、外交団です。 |
室町時代から来日していましたが、豊臣秀吉の侵攻によって中断し、 |
徳川幕府となってから再開され、江戸時代だけで合計12回訪日しました。 |
回数 |
西暦(元号) |
朝鮮暦 |
将軍 |
朝鮮正使 |
名称 |
目的
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第1回 |
1607年(慶長12年) |
宣祖40年 |
徳川秀忠 |
呂祐吉 |
回答兼刷還使 |
日朝国交回復、捕虜返還 |
第2回 |
1617年(元和3年) |
光海君9年 |
徳川秀忠 |
呉允謙 |
回答兼刷還使 |
大坂の役による国内平定祝賀、捕虜返還 |
第3回 |
1624年(寛永元年) |
仁祖2年 |
徳川家光 |
鄭ャ |
回答兼刷還使 |
家光襲封祝賀、捕虜返還 |
第4回 |
1636年(寛永13年) |
仁祖14年 |
徳川家光 |
任絖 |
朝鮮通信使 |
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第5回 |
1643年(寛永20年) |
仁祖21年 |
徳川家光 |
尹順之 |
朝鮮通信使 |
家綱誕生祝賀、日光東照宮落成祝賀 |
第6回 |
1655年(明暦元年) |
孝宗6年 |
徳川家綱 |
趙珩 |
朝鮮通信使 |
家綱襲封祝賀
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第7回 |
1682年(天和2年) |
粛宗8年 |
徳川綱吉 |
尹趾完 |
朝鮮通信使 |
綱吉襲封祝賀
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第8回 |
1711年(正徳元年) |
粛宗37年 |
徳川家宣 |
趙泰億 |
朝鮮通信使 |
家宣襲封祝賀
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第9回 |
1719年(享保4年) |
粛宗45年 |
徳川吉宗 |
洪致中 |
朝鮮通信使 |
吉宗襲封祝賀
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第10回 |
1748年(寛延元年) |
英祖24年 |
徳川家重 |
洪啓禧 |
朝鮮通信使 |
家重襲封祝賀
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第11回 |
1764年(宝暦14年) |
英祖40年 |
徳川家治 |
趙曮 |
朝鮮通信使 |
家治襲封祝賀
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第12回 |
1811年(文化8年) |
純祖11年 |
徳川家斉 |
金履喬 |
朝鮮通信使 |
家斉襲封祝賀(対馬に差し止め) |
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その間、朝鮮王国、徳川幕府、対馬藩(宗氏)の思惑がからんで、虚虚実々の駆け引きが行われましたが、 |
良好な関係を保つことに貢献しました。 |
本日は外交(国と国との交際)がいかに大変なことかを知っていただければ幸いです。 |