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地区の行事 |
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1) |
ロータリーは100年を超える歴史の中で4回の危機がありました。 |
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第1回目は第1次世界大戦、第2回目は昭和初期の大恐慌時代、第3回目は第2次世界大戦、 |
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第4回目は今回の世界的大恐慌です。 |
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RIの資金が約2億2200万ドルの含み損になっておりましたが、現在その含み損は多少減って |
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きていますが、RIが資金不足に陥っていることにはかわりなく、教育的プログラムを減らして、 |
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人道的プログラムに切り替えていく方針だそうです。 |
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従いまして、国際親善奨学金制度の見直し、GSEについて2010年以降は来日と派遣が交互に |
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なります。このような中でRIが今一番力を入れているのが「ポリオ撲滅」でして完全に撲滅するまで |
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努力していく方針です。ビルゲイツ氏とRIが協力して2億ドルを調達するために募金の予定を1年 |
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延長して、2000円/1人×今後3年間継続して協力をお願いしますが、もし3年間で目標額に |
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到達しない時には、2780地区ではDDF(地区財団活動資金)から補充して処理していく方針 |
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だそうです。 |
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2) |
会員増強について |
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ジョン・ケニーRI会長も奥津ガバナーも共に会員増強・会員維持を強く訴えておられます。 |
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質的にも量的にも会員組織を世界的に拡大することに重点を置かれています。 |
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また、かって会員だった方と継続的に交流していく中で、再び入会して頂くような努力もしてほしい。 |
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そして各クラブ会員の10%の入会者を募る努力、そして年度末には純増1名になるように |
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努力してほしいとのガバナーの意向です。 |
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3) |
広報を活用して公共のイメージを高めていきたい。 |
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従来ロータリーは奉仕活動をあまり外に宣伝することをしてきませんでしたが、 |
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地域の方々にもロータリーを知ってもらう努力を積み重ねていく中で、新しい会員の発掘 |
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にもなり、他の団体と協力した活動もできるようにしていきたいということです。 |
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4) |
水と保健と飢餓救済そして識字率の向上は本来なら各国政府がやるべき事業ですが、 |
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それができないのでロータリーが援助の手をさしのべているわけでして、RI会長は |
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7つの優先活動項目のうち、3番目に掲げていますが、どうも泥沼状態といえそうです。 |
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5) |
奥津ガバナーの基本的方針はRI会長の方針に則りますが、日本には米山梅吉さんという |
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すばらしい先駆者がいますので、東洋の感覚のロータリーのありかたを考えていきたい。 |
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アメリカに追従した形のロータリーである必要性はないというガバナーの意向です。 |
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米山梅吉さんの言葉を大切に継承していきたいを話されています。 |
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すなわち、「ロータリーは友達つくり、人づくり」、「ロータリーは人生の道場」このような |
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気持ちを徹底していきたいと強調されました。 |
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6) |
財団寄付金と米山寄付金 |
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財団寄付金はRIの方針として、1人100ドルとしていますが、2780地区では |
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1人180ドルを継続的にお願いしてきています。これは3年後のDDFとして活用できる |
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予算組みの関係から1人180ドル以上でお願いしてきておりますので、よろしくお願い |
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致します。また、ガバナー月信では1人80ドルと印刷ミスをしておりますが、100が |
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抜けてしまいました。 |
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米山寄付金も例年通り、1人20000円以上でお願い致します。 |
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7) |
地区大会について |
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パンフレットが既に配布されていますが、10月10日(土)が会長・幹事会で11日(日)が |
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本会議でして、昨年と同じ大磯プリンスホテルで秦野中ロータリークラブがホストとして、 |
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コ・ホストはなしで開催するようです。 |
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記念講演には元駐日韓国大使のチェ・サンヨン氏で「日韓によせるロータリーの願い」と |
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いう演題です。チェ・サンヨン氏は元米山奨学生です。 |
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8) |
オンツーモントリオール国際大会 |
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2010年の6月20日から23日までカナダのモントリオールで国際大会が開催されます。 |
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国際大会の委員として小沢前RI理事が就任されています。奥津ガバナー、後藤ガバナーエレクトは |
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2780地区から350名程(1クラブ5名)の参加を呼びかけておられます。 |
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350名程の参加となれば、旅費、ホテル代込みで1人25万〜30万前後で行けるということでして、 |
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日本語の同時通訳もつきますので、言葉の問題も無く、奥様同伴で楽しんで頂ければと思います。 |
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2010年6月19日出発で6月25日の帰国予定と話されていました。 |
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9) |
ロータリー情報委員会 |
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CLPについては地区内で全てのクラブが実施されるようになりましたが、地区から与えられた |
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組織表をそのままうつしただけのクラブがほとんどいう現状で、結局昔と変わらない運営を |
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行っているようです。CLPは長期計画化されているものだそうで、その内容が何なのかよく |
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わかっておりませんので、地区情報委員会が研究してその結果を会員の皆さんに知ってもらう |
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ようにしたい。 |
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10) |
地区広報委員会 |
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かっては全国会員名簿がありましたが、現在は作成されていません。 |
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そこでインターネットを活用し、2780地区だけでもロータリーアンの情報を広めようという活動を |
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始めます。参加希望のロータリーアンを募集して、公開の範囲は4段階程度に区分する予定で |
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11月頃までにシステム製作をしていくそうです。因みに参加する費用は無料で地区で全て |
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負担します。 |
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11) |
GSE委員会について |
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2009〜2010年度は派遣と来日ともに実施します。 |
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米国コネチカット州のハーフフォート市を中心にマサチューセッツ州の両州にまたがった |
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7890地区と交換することになっています。 |
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来日予定は2010年3月13日(土)〜4月10日(土)で派遣予定は2010年4月17日(土)〜 |
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5月15日(土)です。例年通りのご協力をお願い致します。 |
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12) |
2009〜2010年度青少年交換受入学生について |
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Charles Jack
Johnson君はオーストラリアの9780地区、ベルモントRC推薦で、 |
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受入クラブは横須賀西RCで、2010年1月に来日され、三浦学苑高校に入学予定です。 |
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13) |
ガバナー月信の原稿依頼について |
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14) |
RYLAは今年度実施しません。 |
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15) |
IMは横須賀RCがホストクラブで、2010年4月10日(土)、横須賀商工会議所で開催します。 |
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テーマは未定です。 |
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体験談 |
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私が横須賀RCに入会した当時は、会員数80名程で平均年齢は58〜59歳で、36歳の私にとりましては、 |
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父親程の長老ばかりでして毎週の例会が緊張と苦痛の連続でしたが、半面横須賀のこのような立派な |
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方々のお仲間に入れていただいて良いのだろうかと戸惑いました。 |
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その中でリラックスしてメークアップできた例会がローターアクトでした。 |
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私が彼らの年齢に一番近いということで、すぐローターアクト委員、委員長、パスト委員長として、 |
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アクトの会員を3倍の約40名近くまで増強して、当時259地区で県全体で24クラブ程あった中で |
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2番の会員数を誇るクラブに成長しました。現在は当時のアクトのメンバーが横須賀RCの会員として |
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活躍されている姿を見るにつけ、大変うれしく思います。 |
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しかし、例会は緊張の糸が張り詰めていた感じでして、いつ、どのような理由で退会しようかと |
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考えながらも、出席率はメークアップを含めて100%だった記憶があります。 |
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入会後1年経った頃に、私の所属しておりますカトリック教会の神父様から、「韓国の歯科医師が来日 |
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しているので話し相手になって下さい」と言われまして、神奈川歯科大学の総義歯の研究室員の |
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丁海暎先生と知り合いました。ある日、「佐久間先生はどなたかロータリーアンの方知りませんか」と |
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言われましたので、「私がロータリーアンですよ」と答えますと、「米山奨学金制度に申し込んで大学院に |
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進学したいので、先生が紹介者になって下さいませんか」と言われまして、申込期限を聞きますと、 |
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「3日後です」という答えにビックリしましたが、とにかく私の患者さんでもありました、石渡PGに |
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連絡しますと、「早急に幹事さんに連絡するように」との指示を頂き、その通りに動きました。 |
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大変お忙しい中、当時の三役(稲垣会長、上林副会長、長沢幹事)がその晩に面接しましょうと言う |
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連絡を頂き、事務局を含めてみごとな連携プレーで3日後、横須賀RCの推薦状をもらい、直接 |
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米山奨学記念会に書類を持参する彼の笑顔を覚えています。 |
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約1ヶ月程後、「合格しました」との報告、そして日曜日に教会で合った時、「合格しました」と |
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うれしそうに握手をしてきた時の彼の笑顔が忘れられません。 |
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当時は大学院の4年間続けて奨学金の支給がありましたので、彼は卒業するまで安心して |
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頑張っておりました。その4年間私は彼のカウンセラーを勤め、毎月彼の様子を地区まで報告書を |
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書く作業は大変でしたが、彼が卒業してソウルに帰り、開業しながら大学の非常勤教授として |
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活躍している姿を歯科医師会のメンバーと共に何度か韓国を訪問した時に拝見しました。 |
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現在も交流を続けておりますが、彼の笑顔を思い出すたびにロータリーは良い仕事をしているな、 |
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このような素晴らしい活動をしているロータリーアンでいることに誇りを持ち、一生のつき合いを |
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していきたいという気持ちを高めました。 |
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もう一つ、ロータリーアンになってこんな幸福を感じることができた喜びの件についてお話しいたします。 |
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先程、私の自己紹介の時に「育ての父親が歯科医師でありましたので」という一言を覚えていらっしゃると |
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思いますが、私の生みの両親は私が2〜3歳の頃、離婚しまして私は産みの母親にひきとられました。 |
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その母親の姉夫婦に子どもがいなくて、歯科医院の跡取りが欲しいということで、小学校1年生から |
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養子に入ることになりました。 |
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歯医者にならなければいけない、なれなかったらこの家を出て行かねばならない、小学6年生の時、 |
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田浦にある私立の中学校に合格したら、医者でも歯医者でもなれると親に言われまして、必死に |
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頑張って無事合格した時、私の人生はこれで安泰かとも考えました。 |
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しかしいつも心の中に産みの父親はどんな人で、どこに住んでいるのだろう、という気持ちは心の |
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すみにありました。父親の写真も思い出の品もすべて母親は捨ててしまいましたので、3歳頃に |
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別れた父親について知るすべがまったくありませんでした。 |
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50歳をこえたある日、診療している所に母親が名刺を持ってきて「こういうひとが玄関に来ている |
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けど会いますか」と言われ、名刺を見ると明らかに産みの父親の名前です。 |
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育ての両親がまだ元気でしたから、会って良いのか悪いのか迷いながらも少し待ってもらい、 |
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「今、会わなければ死ぬまで会えない」と考え、帰ろうとしている父親を玄関の外まで追いかけて、 |
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約48年ぶりにというか、初めて見る父親がとても小さく縮んで見えました。 |
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大阪で鉄工所を経営していて、毎年東京出張の帰りには横須賀に寄り、汐入の商店街で |
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買物をしながら佐久間歯科医院のうわさ話を聞いては帰っていたようです。 |
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玄関先で5分程の会話で別れましたが、大阪で再婚して子どもも二人いることを知り、半分血の |
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つながった弟、妹にも会いたいという気持ちと幸せにしている家庭の中に私が入り込んでいくことは |
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できない、と思いながら名刺の裏を見てみますと、摂津市工業クラブ会長、摂津市交通安全協会会長など |
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多くの役職を勤める中で、摂津ロータリークラブ会員という一字を見つけた時、「これだ」と思いました。 |
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翌年、大阪で障害者歯科学会が開催されましたのでそれに合わせて摂津ロータリーの事務局に |
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電話し、例会開催日時と交通経路を確認しました。 |
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当日新幹線のホームまで私を迎えにきてくれた父と共に摂津ロータリークラブに出席することが |
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できました。一緒にロータリーソングを歌っているうちに、約50年間のわだかまりを全て捨て去って、 |
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親子の絆をとりもどすことができました。例会終了後、「どこのホテルを予約したのか」と聞かれましたので |
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「南海ホテルです」と答え、ホテルまで送ってくれるのかと思いましたら、「じゃ、キャンセルして家に来い」と |
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言われ、「いいのかな」と思いながら、半分血のつながった弟と妹とも初めて会うことができたのです。 |
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その父が摂津RCの会長に就任した時には、その第一例会にメークアップして、お祝いのニコニコを |
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入れましてたが、その時の幹事さんが「今日のビジターの佐久間さんと小坂会長は何か似てませんか」 |
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と会員の皆さんに問いかけた後、「実は本当の親子なんですよ」と発表され、会員の皆さんから祝福と |
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歓迎されました時、「あぁロータリーに入っていて良かったな」としみじみ感じました。 |
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父親がどのような人かわからない時には、ホームレスになっていても会いたいなと思っていましたが、 |
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大阪で成功してロータリーアンになっていることがわかった時の喜びは大変大きかったです。 |
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また私と半分血のつながった弟には自分の鉄工所を継がせず、「お前は歯医者になれ」と命じ、 |
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妹に会社を継がせたようです。弟は何故、自分が歯医者になるのかわからなかったようですが、 |
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私と会うことによって理解したようです。産みの父親としては、兄弟がいつの日か歯科医師会の |
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中で出会える日があれば良いと考えていたようです。 |
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それから5年後、父は他界しましたが弟、妹とも交流を続けています、近いうちにロータリーに |
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入会を勧めようと思っています。 |
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ロータリーのメークアップというシステムがあればこそ、私達はどこのクラブに行っても歓迎され、 |
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親しくお話しができ、人間関係の輪が広がるのです。 |
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皆さん、多いにメークアップして下さい、そして人間の輪を広げ、多いにロータリーを楽しんで下さい。 |
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■協議会 |
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1) |
メークアップの活用法 |
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2) |
会員数の少ないクラブでの親睦活動について |
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3) |
クラブ内役職の重複、会長のなりて不在 |
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4) |
クラブ合併の諸問題 |
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5) |
地区補助金の活用法 |