■ガバナー補佐のお礼 |
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上半期、ガバナー訪問では大変お世話になりました。下半期もIM、新会員の集いなどご協力よろしくお願い致します。 |
■卓話 「能の話」 神奈川・横須賀プロバスクラブ 天田晴基様 |
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能の中の謡曲を指導しております。
本日は異例のヒットを続けている「応仁の乱」と能楽の歴史についてお話をしたいと思います。 【応仁の乱】・・・「人の世、むなし(1464年)」などと、語呂合わせで応仁の乱の発生年を暗記した人も多いだろう。屋台骨の傾いた室町幕府8代将軍・足利義政の弟義視(よしみ)と、義政と正室日野富子との間に生まれた義尚(よしひさ)の後継者問題、双方を後押しする有力守護大名の対立、守護大名畠山(はたけやま)家の跡目争いなどが絡んで、京都の東西に分かれて戦乱は始まる。
東軍総大将の細川勝元も、西軍山名宗全も乱世には不向きだったため、11年間も争うことになる。都は荒れ果てる。戦乱は地方に拡大し、有力な守護大名の家すら危うくなり始める。家来の裏切りや内紛は当たり前。庶民の土地争いや食糧の略奪まで起こり、何でもありになる。 混迷を極める現代の世界情勢に通じる面があったことも見逃せない。
ヒットの原因
*視点の新しさ
応仁の乱について書かれたものは、これまではどちらかの陣営や武将の視点から書かれているものが多く、奈良という地方の僧の視点から網羅したものは珍しい。
*リーダー論として
応仁の乱は現在の組織論、リーダー論に通じる部分が多い。将軍が辞める辞めると言いながら、ズルズル政権の座についていたため、短期決戦が長期(11年)に長引いてしまった。
*地方創生との関連
応仁の乱をきっかけに偶然的に中央の力が弱まり、それによって地方が自律的に動き、地方分権がすすんだ。
つまり、現在の世相と相通じるものがあるため、流行っている。 |
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能 |
「シテ方三役」 という言い方がありますが、 能は簡単に言い切ってしまうと 「シテ」 一人の演技だけが見どころで、 三役は引き立て役です。
シテ方に、五流あります。 観世、 金春、 宝生、 金剛、 喜多です。
三役は、 ワキ方、 囃子方、 狂言方をひとまとめに言う言い方です。三役の流儀は狂言方以外は気にしない方が無難です。
囃子方は、 笛、 小鼓(こつづみ)、大鼓(おおつづみ、俗語でおおかわ)、太鼓(たいこ) それぞれに複数の流儀があります。
狂言には、大蔵流、 和泉流の二流あります。 |
世阿弥 |
世阿弥の箴言(しんげん)・戒めの句・格言 |
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世阿弥・・・南北朝時代の能役者、作者 |
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生年1363年(貞治2年)とするが確実ではない |
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没年1443年 81歳? 没年不明 佐渡島とも奈良とも |
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通称 観世三郎元清 晩年 至翁、善芳と名乗る。 |
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口伝として風至花伝 花鏡 至花道など 法名世阿弥陀仏 |
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父、観世三郎清次・観阿弥陀仏、観世座の祖とされる。 |
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足利義光の庇護をうける。秦河勝(帰化人 弓月の君の子孫とも。) |
能の流派 |
観世流 宝生流 金剛流 金春流 喜多流(江戸時代) |
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山田猿楽 近江猿楽 大和猿楽等 |
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田楽・ササラ |
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観世流と宝生流は上がかり |
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金剛流と金春流は下がかり |
箴言 |
・稽古は強かれ 情識はなかれとなり |
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【情識】良い意見に耳をかさないこと |
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・上手は下手の手本 下手は上手の手本なりと工夫すべし |
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宮本武蔵(1584?〜1645年) |
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千日の稽古を鍛とし 万日稽古を錬とす |
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・初心忘るべからず 稽古は7歳より |
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是非の初心忘るべからず |
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時々の初心忘るべからず |
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老後の初心忘るべからず |
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・好色・博奕・大酒 三十戒・これ古人のおきてなり |
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雅楽・散楽→中国から朝鮮半島を経て我が国に伝わったとされる。 |
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雅楽→宮中音楽として式典に演奏されている。 |
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散楽・猿楽・田楽→庶民の楽しむ歌舞として今日に伝わる |
世阿弥の作品 |
高砂 老松 養老 融 松風 百萬 卒塔婆小町 通小町 清経等 |
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