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■卓話 |
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2005-2006年度国際親善奨学生 坂田 彩様 |
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2005―2006年度国際親善奨学生として一年間マラガで勉強して参りました。本日は横須賀南西ロータリークラブで卓話をさせていただきます。至らぬ点もあるかと思いますが、どうぞよろしくお願いします。
横須賀ロータリークラブの推薦を受け、この国際親善奨学生の試験を受けたのが2004年ですので、時が経つのが早いと感じております。
始めに自己紹介をさせていただきます。県立追浜高校を卒業し、清泉女子大学文学部スペイン語スペイン語科に入学しました。その後同大学修士課程を修了し、現在博士課程に在籍しています。研究テーマはスペイン17世紀演劇の女性登場人物についてです。 |
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国際親善奨学生として派遣されたのはスペインのベナアビスロータリークラブになりまして、スペインのマラガにあります。マラガとは、地図上ではスペインの最南端にある都市です。マラガはヨーロッパでは有数のリゾート地で毎年夏になると多くのヨーロッパ人がマラガを訪れます。歴史的には紀元前後のローマ帝国の時代、ローマ帝国に植民地支配を受け、街中では多くの当時の遺跡が見られました。また8世紀からのアフリカのアラブ系民族であるベルベル人の侵攻により、スペイン全土が侵略されるわけですが、マラガはその地理的関係上一番初めに侵攻され、それから15世紀のカトリック良王によるキリスト教徒による国土回復運動が成功するまでアラブ人によって支配されていました。 |
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19世紀までアンダルシア地方の貿易都市として発展し、20世紀に入ると、フランコの独裁政治時代の影響などで、発展が止まりましたが、フランコ政権がリゾート政策をこの地をCosta
del Sol(太陽の海岸)としてPRしたことにより、ヨーロッパ有数のリゾート地として1970年代以降発展していき、今日に至るようです。 |
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また、マラガが輩出した巨匠として有名なのが皆様もご存じの20世紀の画家です。どなたかご存じですか?
ピカソです。19世紀後半、20世紀の有名な画家ピカソがマラガで誕生しています。彼は7歳までマラガで過ごし、生誕地として、ピカソの生家やピカソ美術館が整備され、観光名所となっていました。
街の旧市街部分にはローマ遺跡(円形劇場)とイスラムの城、アルカサバがあります。そして街の建物はマラガが貿易で最も栄えた19世紀スタイルの建物で統一されており、大変美しい町並みを保っておりました。 |
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留学後半からは街の心臓部にあたる大聖堂Manquitaの隣に住みました。カテドラルはManquita(片腕さん)という愛称で親しまれています。なぜこのような愛称がつけられたのかというと、実はこのカテドラルには塔が一つあるのですが、当初の予定では二本建てられる予定でした。しかし資金難のため、結局一つしか建てられず、皮肉まじりにManquitaと呼ばれているそうです。 |
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私がマラガでお世話になったのはBenahabis
Rotary Club です。このロータリークラブはマラガから1時間ほどのMarbellaという場所にあります。20年ほど前、マラガ市内にもロータリークラブがあったそうですが、数年で解散してしまったようです。何度かこのコスタ・デル・ソルの地域にロータリークラブが作られたそうですがあまりうまくいかず、このマルベジャで起こしたそうです。マルベジャはマラガよりさらにリゾート地として発展した土地で、場所柄、スペイン人だけでなく、ドイツ人、イギリス人、なども在籍する多国籍のロータリークラブです。 |
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私のカウンセラーは2005年度の会長でもあったMaria
Carmen Piris Garciaという名の女性の方でした。スペインでは、ほとんどのロータリアンは男性で占められているそうで、特にこのアンダルシアはその傾向が強いそうです。しかし、このBebahabisでは結成時に改革をして女性が所属できるよう組織されました。メンバーの半数が女性で、そのせいか他のロータリークラブよりも一層明るい雰囲気のロータリークラブだと感じられました。第一回目の訪問で自己紹介などをさせていただき、ロータリアンの皆さんを紹介して頂きました。 |
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あちらの会はまずスペイン人の昼食が2時から始まるため、2時に開始の鐘を鳴らします。30分ほど前から皆めいめい集まり、レストラン併設のバーでアペリティボとしてワインやドリンクを飲みしばらく談笑し、2時から開始です。しかし日本のように規則通りの形式ではなく、マリア・カルメンさんを司会にしてホームパーティが進行していく、というような雰囲気でした。食事を食べながら、それぞれの報告を聞いたり、お誕生日を祝っていきます。しかしロータリーの歌も歌いませんでしたし、全ての報告などは簡略化されており、アンダルシアと日本の違いを感じた瞬間でもありました。逆にそのおかげで私のような身分の学生は緊張せずに過ごせました。 |
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この写真は10月の末にカウンセラーの自宅に招待され、彼女の家で週末を過ごしました時のものです。その際、コスタ・デル・ソル地区全体の集会があり、参加してきました。日本から着物を持参していたので、着物を着て参加したところ、皆さんに喜んで頂けました。実はこの時、着物は着ていましたが、宅急便が送れたため草履が手元届かず、仕方なくビーチサンダルを代用品にして、着ました。 |
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アンダルシアではferia(お祭り)というお祭りがあります。このferiaでは市民がフラメンコの衣装を着て街に繰り出し、フラメンコを踊って楽しみます。セビリアで始められ、すぐにアンダルシア全土にこのお祭りが広まったそうです。通常5月にセビリアで開始した後、各都市で順繰りに開催されていきます。日本と違い、一週間開催され続けます。毎日夜遅くまで飲んだり、謡ったり、大騒ぎの一週間となるそうです。この日、受け入れロータリークラブの皆さんがferiaを私に案内して下さることになりました。カウンセラーのMariaCarmenさんは私のためにフラメンコの衣装を用意してくださり、その日はスペイン人になったつもりで街に繰り出して楽しむことが出来ました。 |
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海の側に住むマリ・カルメンさんのご自宅によく伺いました。ご覧の通り、とてもきれいな海が側にあって、素敵なおうちでした。「いつでも遊びに来なさい」というお言葉に大いに甘えて、大体、月に一度、マリ・カルメンさんのご自宅に伺っていました。留学生活も終わりに近づく5月に、私の両親がスペインを訪れました。以前から両親が来る際には必ず接待したいと言っていらしたので、わずかな時間でしたが、両親と共に彼女の家に向かいました。私の両親はもちろんスペイン語が全くわからなかったので、私が間に入り通訳しながらでしたが、暖かくおもてなしをして下さったことは本当に感謝しています。 |
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この写真はマリ・カルメンさんとご主人のアントニオです。7月、帰国前にしばらく彼女の家に滞在することになり、最後のバカンスを楽しみました。彼女とその旦那様のアントニオから11ヶ月前、スペイン文学だけでなく、ここに住むからにはスペイン文化をよく知りなさい、という助言を頂きました。そして一月ごとに、滞在するたびに様々なことを教えてくださった。アンダルシアの食事の風習さえ知らなかった私にご主人のアントニオと共に教えてくださった。そして最後の夜、この10ヶ月終わるにあたり色々な思い出話をしていましたが、彼女から、「このみは本当にスペイン人らしくなった」という言葉をもらうことができた。ここまで暗中模索、試行錯誤しながら見よう見まねでスペイン文化を体得しようと奮闘してきた私にとってうれしい言葉でもありました。 |
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文学を知る上で、何よりその作家自身をよく知らなければならないように、同時にその作家を輩出した土壌を知るべきである、では、その土壌を知るにはどうしたらいいか、ということから、ここに来てスペイン文化が日本文化と真逆の思考過程を持っていることを知ったがゆえに、日本人ではあるがスペイン人の一年をスペイン人の真似をしていくことで、経験し、体得しようと考えました。この試みは日本人であることを捨てる、ということを意味するのではなく、どのような思考過程で行動に結びつくのか、ということを自分自身で実験的なものでもありました。若者同士の付き合いはもちろん大学でも知ることが出来ましたが、ロータリアンのようなある程度社会的地位も確立している人々がどのような生活をしているのか、それを知ることが出来たというのも大きなことだったと改めて感じます。そしてその試みの終わりに、「話し方も雰囲気も全てスペイン人らしくなった」と言われたことは本当にうれしいものでした。 |
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卓話について、多くのスペイン人、外国人が日本の着物文化に興味を持っていたため、日本から持参した着物を披露することにしました。初めは簡単に着物の歴史を披露した後に着物を自分で着て見せていたのですが、多くのスペイン人や外国人は自分で着てみたい、という要望があったため、後半は主に着付けを行っていきました。初めて絹の着物に触り、皆一様に興味を示していました。スペイン人だけでなく、イタリア人、ドイツ人、ロシア人など多くの人が日本文化に興味を持っていることがわかったことが非常にうれしかったです。 |
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その他多くの友人にも恵まれました。ロータリーが縁で、この二人と知り合えました。彼女はアメリカからの留学生、彼女はノルウェイのお医者さんです。二人ともマドリードの語学学校で偶然知り合い、同じロータリーの奨学生ということで意気投合し、色々な場所を共に旅行しました。
また大学や大学寮の友人は精神的な支えになってくれました。 |
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大学では前期ではマラガ大学で詩、随筆、文学社会史の授業を受けました。また、個人指導では、17世紀の劇作家のロペ・デ・ベガとカルデロン・デ・ラ・バルカの劇作品における「名誉」のとらえ方の違い、という比較文学の研究を行いました。カルデロンについて日本で研究していたが、ロペについては全く初めてだったので、講読から始めて、その後解釈し、違いを探していった。同時代に生きた二人の作家を比較していくことにより、これまで一般に言われてきた二人の作家の違いについて理解することが出来たし、何より、カルデロンの作品の特徴をつかむことが出来たことが良かったように思います。 また、同時に黄金世紀の文学だけでなく、文学と美術の世界を総合的に知る上で重要となるバロック論について研究する機会を得られたことも重要であったのではないかと思っております。
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最後にこの場をお借りして、この奨学金をサポートしてくださった2780地区のロータリアンの皆様方に感謝を申し上げたいと思います。スペインへの留学は大学時代から足かけ7年間、私の夢でした。そもそもこの年まで娘を未だに食べさせてくれているだけでもありがたいことなので、さらに留学したいと家庭には言えず、このロータリークラブの奨学金ならば、と決心し、受験しました。一度目は不合格、そして二度目の受験で合格したときには言葉に出来ないほど喜んだことを今でもはっきりと覚えています。スペインに入り、学業面でも生活面でも苦労した一年でしたが、ロータリーの奨学生であるという誇りが常に自分を支え、そして時に弱気になる心を正してくれたのだと今改めて感じております。これはわたしの大きな原動力でした。
本当にありがとうございました。そして、同じ夢を持つ将来の奨学生のために、さらに、皆様方から暖かいサポートを頂けるようお願いしたいと思います。 |
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AVHE CHARITY CONCERT
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現在帰国した財団奨学生で作る財団学友会のほうでお手伝いをさせていただいています。財団学友会では今回のように2780地区のロータリークラブで卓話をする機会を設けていただき、財団奨学金のご理解をいただく活動をしております。また、毎年合格した新たな奨学生候補のためのオリエンテーションや壮行会の運営も担当しております。また、この活動だけではなく、学友が協力し、何かロータリーの理念に沿う活動ができないかとここ数年議論しておりました。その一つの形として、この度、インドネシア・アチェ地区支援のためのチャリティーコンサートを開催することになりました。このアチェ州は2004年のスマトラ沖地震、津波で壊滅的な被害を受けました。しかしそれ以前から政府軍と反政府ゲリラとの内戦状態が続き、子供達は教育を十分に受けることができないままでした。学友の一人がこの地区の国際交流事業に関わり、現状を知り、学友として何か援助できないか、ということが議題にのぼり、この度のコンサートに結びつきました。
2009年のロータリーのテーマが「夢をかたちに」ということですが、我々のコンサートも「子供・未来・夢」というテーマを挙げさせていただきました。こうした活動もよろしくご支援を頂きますよう、重ねてお願い致します。
本日は本当にありがとうございました。また、皆様とお会いできる日を楽しみにしています。 |
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